サカナクションと「雨」について
こんにちは。こんばんは。おはようございます。今回は、日本のロックバンド・サカナクションの歌詞に頻繁に登場する単語の中でも特に印象深い「雨」に注目し、全楽曲の作詞を手がけている山口一郎氏が「雨」をどのように捉えどのように使ってきたのか、そしてそれがバンドや山口氏の歩みとどう関連しているのか考えます。(学校の課題で書いたものの口調を改めているだけなので多少硬い文になっていますがご容赦ください。笑)
サカナクションは2007年にAL「GO TO THE FUTURE」でメジャーデビューしたバンドで、当初はメンバーの地元である北海道の札幌を拠点に活動を行っていました。3rdAL「シンシロ」制作中から東京へ進出し、初のシングル「セントレイ」をリリース。フォークソングをルーツに持つ山口氏の歌、ダンスミュージックの意匠をロックバンドのフォーマットに昇華させたサウンドで徐々に人気を獲得し、2013年にはAL「sakanaction」で自身初のオリコンチャート1位を獲得。その年にはNHK紅白歌合戦にも出場し、トップアーティストの仲間入りを果たしました。
そんなサカナクションの歌詞において「雨」は、CDリリースされており歌詞が存在する80曲中15曲に登場し、7枚のフルアルバム及び各アルバムの制作期にリリースされたシングルのカップリング曲にバランスよく散りばめられています。以下に「雨」が登場する楽曲をまとめます。
1stAL「GO TO THE FUTURE」(2007)
・あめふら
・フクロウ
2ndAL「NIGHT FISHING」(2008)
・雨は気まぐれ
・アムスフィッシュ
シングル「セントレイ」(2008)
・Ame(A)
3rdAL「シンシロ」(2009)
・Ame(B)
4thAL「kikUUiki」(2010)
・明日から
・壁
シングル「ルーキー」(2011)
・スローモーション
5thAL「DocumentaLy」(2011)
・モノクロトウキョー
6thAL「sakanaction」(2013)
・夜の踊り子
・なんてったって春
7thAL「834.194」(2019)
・陽炎
・モス
以上の曲を主に扱います。また、基本的に「1枚のアルバムをリリースするまで」を活動の一区切りと捉えます(例えばシングル「セントレイ」は2ndALと同じ2008年にリリースされた作品であるが、3rdALに向けた楽曲として考えます)。
1.「雨」とは何なのか?
山口一郎にとって「雨」は何なのか、これを示すような描写は2ndまでの札幌時代において多く見られます。「あめふら」では“心に雨 にじむ僕の白い一直線”、「フクロウ」「アムスフィッシュ」では“悲しい雨”、そして「雨は気まぐれ」では“雨は気まぐれな僕のようで 僕そのもののようだ”と歌っています。
基本的に悲しみ、及び後ろ向きのイメージと結びついていることが分かります。そしてその悲しみや淋しさや不安は、自分の心に降るものでありながら自分そのもののようでもある、と。「自分の多くを形成しているもの、かつ外からやってくるもの」として私が思い浮かべるのは「水」です。山口氏も悲しみと「水」のイメージを合わせて表現できる言葉として「雨」を用いているのではないでしょうか。雨にネガティブなイメージを持たせる人は作品を作る人に限らず多いです。しかし、それを客体としてだけではなく同時に自分自身の比喩としても用いているのが彼のユニークな点だと思っています。
そして、こうした「雨」のイメージはその後もこの時期までの山口氏自身、つまり彼の思春期及びモラトリアムの象徴として固定されていると考えます。次項では東京進出後の「雨」が含まれている楽曲を時期ごとに追いながらその点について見ていきます。また、いくつか上記のイメージから外れた例外的な楽曲もあるが、それらについてはその都度補足していきます。
2.「雨」はどのように用いられているのか?
[1]「シンシロ」期
・Ame(A)
この楽曲は初のシングル「セントレイ」のカップリング曲として制作されました。冒頭で“雨は気まぐれ つまり心も同じ”と歌っており、「雨は気まぐれ」と重なります。このシングルは表題曲で東京に出てメジャーシーンへと本格的に身を投じる覚悟を表現しており、曲調も今までになくアッパーなものになっています。反対に2曲のカップリング曲ではマスを意識しない、自分たちの本質を突き詰めた楽曲を配置しており、「Ame(A)」では「雨」を自らのアイデンティティとして従来と同じように用いていると考えます。
・Ame(B)
AL「シンシロ」のオープニングナンバー。この曲は先に述べた例外的な楽曲で、“アメ”という言葉は心情が先行して出てきたものではありません。
僕たちが思う〈ふざけたダンス・ロック〉を作りたかったんですよ。ライヴも想定すると、歌なしの“Ame(B)”をSEにしてみんなが出てきて、セッティングができた段階で「アメ!!」って歌い出す(笑)。
(TOWER RECORDS ONLINE「インタビュー:サカナクション」より https://tower.jp/article/interview/2009/01/15/100041046 )
このようにサウンドから作られた楽曲であり、歌詞は意味よりも響きの面白さを重視してつけられたものです。山口氏は度々「リズムが意味を上回る瞬間がある」と発言しており、その代表的な例と言えるでしょう。
[2]「kikUUiki」期
・明日から
この頃から「雨」に対する距離の取り方に変化が見られます。この楽曲では「悲しみは雨か霧」と従来と同じ捉え方で「雨」を用いていますが、同時に“悲しみは置き去り”と、「雨か霧」であるところの「悲しみ」を振り払う内容になっています。続く部分で“通り過ぎた日々は化石”“僕らは流されていくよ 『明日から』って何もかも捨てて 追いかけることさえできなくて”と歌っていることからも明らかでしょう。この頃はサカナクションが東京に移ってしばらく経ち、拡大していくフェスでどうやって勝つか、という戦略的な意識が増大していった時期であり、「戦略もバンドの表現の一部である」と宣言してメジャーシーンに挑む中で、札幌時代の自身の象徴である「雨」はリアルな自分の姿ではなくなったのだと考えます。
・壁
この楽曲は山口氏が10代の頃に作ったものを再録したものであり「雨」は自分に身近なものとして歌われている、例外的な楽曲のひとつです。アルバムの他の楽曲と比べても、歌詞全体の筆致から札幌時代の空気が漂っています。
[3]「DocumentaLy」期
「スローモーション」が収録された「ルーキー」より先にシングルとしてリリースされた楽曲であるため、はじめに取り上げます。“風を待った女の子 濡れたシャツは今朝の雨のせいです”という一節を直後に“そう 過去の出来事 あか抜けてない僕の思い出だ”としていて、「明日から」にも増して「雨」を遠くから見ていることが分かります。しかしさらにその後では“これが純粋な 自分らしさと気づいた”“どうしても気づきたくて そう 僕は泣いているんだよ”と、それを求めているような箇所もあり、レコード会社との契約のために曲を作らなくてはいけなかったり、ヒットソングを狙って作らなくてはいけなかったりと、自由な創作ができないことへのストレスが現れていると考えます。「kikUUiki」収録の「Klee」やこの楽曲のカップリング曲である「ホーリーダンス」など、この前後からそうした制作に苦しむ自分の姿を描いたメタ的な視点の楽曲も見られるようになります。
・スローモーション
この楽曲は、東京で降る水分の多い雪が地元のそれに比べゆっくり降るように感じたことから故郷に想いを馳せている曲で、“淋しいのは雪から雨に変わったせい”という一節でそれが表現されています。心情ではなく目の前の現象から「雨」を持ってきたため、「雨」が郷愁ではなく都会の淋しさを感じさせる語になっている例外的な楽曲です。
・モノクロトウキョー
ストレートに都会の虚しさとそれに慣れた自分への淋しさを歌った楽曲です。“そう 絡み合う電線を見上げ僕は ほらアクビをした そう からからに乾いてる心は 心は雨を待ってるんだ”と、「アイデンティティ」に比べても明確に「純粋だった自分への憧れ」を打ち出しており、同時にそれを取り戻せないことや、取り戻せないと知っていながら求め続けてしまう自分を情けなく思う気持ちが後半の“心は何を待ってるんだ”に表れていると感じています。
[4]「sakanaction」期
・夜の踊り子
この楽曲はCMタイアップのついたシングル曲で、山口氏は歌詞について「全て妄想」としています。したがってサカナクションには珍しくこの楽曲は歌詞の語り手が山口氏自身ではない例外的なものです。既に過去のものであるはずの「雨」が“雨になって 何分か後に行く”というようにリアルタイムの目線で語られており、他の楽曲と異なったもののように書かれているのはこれが理由でしょう。
・なんてったって春
この曲は、東京の気候や人々の様子を新鮮に思った山口氏が「この新鮮な気持ちもきっとなくなってしまうものだ」と考え、それを閉じ込めようとした曲です。後半の“段々君は大人になっていった”“段々僕も大人になっていった”という一節で都会に慣れ、擦れていくことへの淋しさが表現されているのでしょう。反対に前半の“明日は雨予報”では「大人になっていく」前の自分を表現しているように感じられます。
[5]「834.194」期
「sakanaction」のヒットで自らの想定以上にバンドの規模を拡大した山口氏はそれまで以上に「純粋な創作」と「作為的な制作」のギャップに苦しみ、次のアルバムをリリースするまでに6年もの歳月を要しました。そんな中作詞のテーマに置いたのが「如何にして無作為を作為的に作り出すか」ということでした。
・陽炎
“次の海下る雨の理由を 探し続けてる 赤い空を僕は待った”の一節に大きな思いが込められているように感じます。まず“赤い空”の「赤」は、「kikUUiki」に収録されている「目が明く藍色」の「メガアカイイロ」から引いてきたものだと思っています。「目が明く藍色」は、中学生の頃に見た「知らない女性に『目が明く藍色、目が明く藍色よ、一郎くん』と繰り返し言われる」夢が元になった楽曲であり、自身が「これ以上の曲ができることはないと思う」としているものです。最も純粋な自分の作品の象徴「赤」を待つ、そして「雨」の理由を探し続ける、というこの一節は「無作為を作為的に作り出す」ことへ挑戦する自らを表現したものであるのでしょう。
・モス
この楽曲は、「マジョリティ(メジャーシーン)の中のマイノリティ」であるサカナクションの立ち位置と、常に自分たちがどう見られているか、どう在るべきかを俯瞰的に考えている様子を“三つ目の眼“を持つ蛾になぞらえた楽曲です。“雨に打たれ羽が折りたたまれても”と「雨」が登場しますが、これは蛾をモチーフにしたことから導かれたものであり、山口氏の心情と深く結びついたものではない例外的な楽曲だと考えます。
3.どのように「雨」と折り合いをつけたのか?
以上のように「雨」について見てきました。そして山口氏が「作為的な無作為性」へと辿り着くにあたって欠かせなかったのが、「雨」、つまり札幌時代の自分との決着です。氏は「834.194」リリース時のインタビューでこう語っています。
やっぱりファースト、セカンドの感覚が1番ピュアだなと思う。というか、あの時の純粋さが、いつしか自分の中で憧れになってたんですよ。それを取り戻したいってずっと思ってたけど……山下達郎さんとかも言うけど、永遠の少年って心をどれくらい保てるかっていうのがクリエイターのひとつの肝だなっていうのはわかってるんですけど、この作品を作って、少年という感覚よりも成熟した今の自分がそこに対する憧れを持ってる、それを歌にすればいいんだなっていうのがはっきりわかったんですよね。
(FACT「MUSICA」 2019年7月号より)
こうしたスタンスがもっともよく表れているのが、「834.194」に収録されている「忘れられないの」の歌詞です。
“素晴らしい日々よ 噛み続けてたガムを夜になって吐き捨てた”と、もう味のしなくなった過去を諦め、“つまらない日々も 長い夜もいつかは思い出になるはずさ”と現在の自分を許す。そのうえで“夢みたいなこの日を 1000年に1回くらいの日を 永遠にしたい この日々を そう今も思ってるよ”と歌い、目指すものは変わっていないと力強く宣言する姿は非常に美しく、素晴らしいものであると感じます。
純粋さへ執着し続けることよりも「純粋さへの憧れ」を真っ直ぐ表現することが今の自分にとってリアルなことである、という諦めと開き直りは彼にとって大きな意味を持つものであったと思います。これを経て今後の作品において「雨」がどのような変化を見せるのか、注目して見届けたいです。
《参考資料》(文中で引用していないもの)
・FACT 「MUSICA」2015年8月号
・ビクター・エンタテインメント サカナクション「魚図鑑」
・リットーミュージック 「サウンド&レコーディングマガジン」2019年8月号
・moon echo(https://note.com/sakanashinsho )